大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

津地方裁判所 昭和59年(ワ)102号 判決

原告 甲野太郎

右訴訟代理人弁護士 中村亀雄

被告 三重県

右代表者知事 田川亮三

右指定代理人 羽多野勇喜男

〈ほか二名〉

被告 国

右代表者法務大臣 林田悠紀夫

右被告両名指定代理人 杉垣公基

〈ほか五名〉

主文

1  被告国は原告に対し、金三五万円及びこれに対する昭和五九年七月三日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  原告の被告国に対するその余の請求及び被告三重県に対する請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、原告と被告三重県との間においては全部原告の負担とし、原告と被告国との間においては被告国に生じた費用の八分の七を原告の負担とし、その余を各自の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

(請求の趣旨)

一  被告らは原告に対し、各自、金五五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(被告三重県について昭和五九年七月一日、被告国について同月三日)から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  仮執行宣言

(被告らの請求の趣旨に対する答弁)

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

(請求原因)

一  原告は、昭和五九年四月二五日午前八時三〇分頃、原告方を訪ねてきた被告三重県の警察本部鳥羽警察署(以下、「鳥羽署」という。)警察官二名から「聞きたいことがあるので、ちょっとそこまで」と言われて鳥羽署まで連行され、同署において同署司法警察員巡査部長醍醐銓一、同巡査西井豊及び同警部補大西孝雄から窃盗事件の被疑者として取調を受けたうえ、同日午後一一時頃、「原告が昭和五九年二月一六日に三重県鳥羽市《番地省略》乙山春夫方に侵入し、乙山秋子所有のパンツ一〇枚ほか六点(時価合計金一万四〇〇〇円相当)を窃取した。」(以下、「本件被疑事実」という。)とのことで通常逮捕され、その後同年四月二六日から同年五月一二日まで鳥羽署留置場に勾留されたのち、同月一二日、処分保留で釈放された。

二  鳥羽署警察官による不法行為

原告に対する本件被疑事実の取調にあたった鳥羽署の警察官の取調は、次のとおり原告の人権を侵害する違法捜査であって到底許されるものではない。

1 原告は、昭和五二年一二月末頃に緊張病に罹患し、翌五三年一月から同年五月まで和合病院に入院し、その後も通院と投薬による治療を続けている者であるが、緊張病は極めて精神神経的な病気であり、一般にその症状は、興奮、拒絶、硬い表情と夢幻状態に始まり、意識ははっきりしていても応答しない等の症状を示し、全治の可能性はないが、寛解時の状態は従順、善良であり、おとなしいけれども、皮相的、おざなり等の性格をあらわすのが特徴である。

醍醐巡査部長、西井巡査及び大西警部補は、原告が右の如き症状を有する緊張病の患者であることを知りながら、全くこの点を考慮せず、昭和五九年四月二五日午前八時三〇分頃から同日午後一一時頃までの長時間にわたり、ただでさえ不安と緊張を覚えさせる警察署内の取調室で軟禁状態にしたうえ、こもごも「パンティや下着ドロしたのはお前か。」「証拠がある。証人もいる。」「盗ったと言え、言えば帰れる。」「お前のは病気だから変な癖は直さないかん。だから結婚もできない。直してやる。四、五日泊っていけば直る。」「今は任意だから否認してもよいが、あとで大変なことになるぞ。」「パンティ位なら盗ったと言えばすぐ帰れる。」などと机を叩きながら大声で威嚇したり、すかしたりの取調を続けて自白を強制した。

原告は、右脅迫的取調による極度の緊張と不安で疲労困憊し、楽になって帰えしてもらえるものならと考えて「盗りました。」とついに嘘の自白をしたのである。

2 原告に対する本件被疑事実を認める証拠は、被害者乙山秋子の被害届一通と原告の自白調書一通と捜査報告書だけであり、目撃者の調書もなく、被害品も発見されず、指紋や足跡等の物的証拠は存在しないし、被害と原告を結びつける前記自白調書も、前述のとおり、長時間にわたる脅迫的取調と緊張病のために極度の緊張と恐怖で疲労困憊した原告がなした嘘の自供に基づくもので、そもそも証拠能力も証拠価値もないものである。

しかるに鳥羽署の醍醐巡査部長、西井巡査らは原告が緊張病であることを秘し、強制によって得た右自白調書をもって裁判官を欺いて逮捕状を取得し、原告を違法逮捕するという暴挙にでた。

3 醍醐巡査部長、西井巡査及び大西警部補は、昭和五九年四月二六日から同月二九日まで連日にわたり原告を取調べ、さらに同年五月二日、七日、一〇日にも取調を繰り返したのであるが、その取調に際しては、原告が緊張病の患者であるにもかかわらず「嘘をつくな。」「否認するな。」「証人がいる。」「二二軒まわって現場検証する。」などと執拗な脅迫的態度の取調に終始した。

4 醍醐巡査部長、西井巡査は、鳥羽区検察庁検察官副検事甲田一郎及び同検察庁検察事務官一名と共謀のうえ、昭和五九年五月一一日、原告を手錠腰縄のまま鳥羽市安楽島町内をひき回す引当捜査を行い、途中で手錠をはずしはしたものの、乙山秋子方他二一名の各家の前で二二回にもわたり原告の意思、感情を無視して原告を写真撮影した。前記警察官及び検察庁職員らによる右違法な引当捜査によって、原告は自宅の近隣の人々の面前において自己の名誉を著しく毀損されるとともに名誉感情を傷つけられた。

5 醍醐巡査部長及び西井巡査は、前記甲田副検事及び検察事務官と共謀のうえ、前同日、原告をその自宅に連行し、同日午前一一時頃、連日の取調と引当捜査で緊張と疲労困憊の状態にある原告に対し「このプレイボーイ(雑誌名)を見ながらセンズリ(自慰)こくのか。センズリの格好してみい。」と促して着衣のまま横臥させ、手錠のままで自慰の格好をさせたうえ、捜査上は全く不必要なものであるにもかかわらず、右の格好をする原告を写真撮影するという陵虐行為を行った。

6 鳥羽署の警察官らは、原告を逮捕した翌日の昭和五九年四月二六日、マスコミの記者らに対し、実名を明らかにして原告を下着窃盗の容疑で逮捕した旨公表し、原告の名誉を著しく毀損した。

三  鳥羽区検察庁検察官及び検察事務官による不法行為

鳥羽区検察庁検察官副検事甲田一郎及び検察事務官は、原告の取調に当り、次の如き原告の人権を侵害する違法捜査を行ったものであり到底許されない。

1 甲田副検事は、昭和五九年四月二六日原告が緊張病患者であることを知悉しながら「君は変態者かね。パンティはどんな臭いがするかね。」などと侮辱的な取調べをなし、さらに同年五月一日の取調に際しては「盗ったんだね。」と強調し、「目撃者もいるぞ。」と虚言を弄し、同月一〇日の取調では「盗っていないと言いはるなら、明日二二軒全部まわって現場検証をする。」などと脅迫的な取調をした。

2 甲田副検事が鳥羽区検察庁検察事務官一名、鳥羽署の醍醐巡査部長及び西井巡査を指揮し、右三名と共謀して前記二の4に記載のとおり引当捜査をしたのは明らかに原告の人権を無視した違法捜査であり、これによって、原告は自己の名誉を著しく毀損されるとともに名誉感情を傷つけられた。

3 甲田副検事が前記検察事務官、醍醐巡査部長及び西井巡査を指揮し、右三名と共謀して前記二の5に記載の陵虐行為に及んだことは、正当な捜査方法から逸脱した甚しく違法な捜査である。

四1  醍醐巡査部長、西井巡査、大西警部補ら鳥羽署の警察官は被告三重県の公権力の行使に当る公務員であり、その職務を行うについて、故意又は過失によって前記二のとおり一連の不法行為を行ったものである。

2  甲田副検事及び前記検察事務官は被告国の公権力の行使に当る公務員であり、その職務を行うについて故意又は過失によって前記三のとおり一連の不法行為を行ったものである。

五  原告は前記二及び三の各不法行為により次のとおり合計金五五〇万円の損害を受けた。

1 原告は被告らの各公務員による前記二及び三の各不法行為により、嘘の自白を強要されたうえ、違法逮捕されて意思、身体の自由を侵害され、長期間にわたる侮辱的、脅迫的取調を受け、原告の自宅の近隣の人々の面前を引き回されてさらし者とされる引当捜査によって著しく名誉を毀損されるとともに、陵虐行為によっていたく名誉感情を傷つけられた。加えて原告は前記一連の違法捜査によって破廉恥な変態者であるとのレッテルを公に貼られることとなり、無実を訴えるも世間の疑いの目は晴れず、結局、職場も故郷も追われる破目に陥ったし、安楽島町内ではその後も下着窃盗が頻発しているのに、本件が冤罪になることをおそれてか、鳥羽署はその真犯人を挙げようともせず、原告の名誉の回復をはかろうとしない。これによって、原告が蒙った精神的苦痛に対する慰謝料額は金五〇〇万円を下らない。

2 原告は原告訴訟代理人弁護士中村亀雄に対し、本訴の提起及びその追行を依頼し、その報酬の支払を約束した。原告が同弁護士に支払うべき報酬金五〇万円は前記各不法行為による原告の損害というべきである。

六  よって、原告は被告ら各自に対し、国家賠償法一条により前記損害金五五〇万円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(被告三重県について昭和五九年七月一日、被告国について同月三日)から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

(被告らの請求原因に対する認否)

一  請求原因一の事実は認める。ただし、原告方を訪れたのは鳥羽署の醍醐巡査部長と西井巡査の両名であり、原告は右両名からの求めに応じて任意で鳥羽署まで同行したものである。

二  同二の冒頭の主張は争う。

1 同二1の事実中、原告が緊張病に罹患し、昭和五三年一月から同年五月まで和合病院に入院し、退院後も通院、投薬による治療を受けていたこと、原告の取調にあたった醍醐巡査部長、西井巡査及び大西警部補が原告が緊張病の患者であることを知っていたことは認めるが、緊張病の一般的な症状については知らないし、その余の事実については否認する。

2 同二2の事実は否認する。

3 同二3の事実中、醍醐巡査部長、西井巡査又は大西警部補が昭和五九年四月二七日から同月二九日まで、同年五月二日、同月七日と原告の取調にあたったことは認めるが、その余の事実は否認する。

4 同二4の事実中、醍醐巡査部長、西井巡査、鳥羽区検察庁甲田副検事及び同検察庁検察事務官一名が、その主張の日に鳥羽市安楽島町内において原告の引当捜査をしたこと、その際に警察官が写真撮影したことは認めるが、共謀の事実を否認し、引当捜査中、逃走防止との兼ね合いで、その四分の一ないし三分の一程度が終った時点で原告の手錠はこれをはずしている。

5 同二5の事実中、醍醐巡査部長、西井巡査、甲田副検事及び検察事務官が、その主張の日の引当捜査中に原告の自宅に立寄り、原告が自慰行為をする姿態の写真を撮影したことは認めるが、共謀の事実、その他の事実は否認する。

原告の自慰行為の姿態の写真は、原告が、甲田副検事らの「盗んだ下着で自慰したのではないか。」との質問に対し「女性の下着を用いて自慰をしたのではなく、週刊誌を見て自慰をした。」旨述べて、自ら積極的にポーズを取ったことによるものであり、決して強要したものではない。

6 同二6の事実中、鳥羽署の警察官が主張の内容を報道機関に公表したことは認めるが、原告の名誉を著しく毀損したとの点は争う。

なお、被疑事実の公表は、同種犯罪の予防、市民への警告、社会的な不安の解消及び警察に対する信頼を図ることによって公共の秩序を維持するなど公益を目的とするものであって、公表された事実が捜査段階において容疑につき合理性が認められる程度のものであるかぎり、その後不起訴となり結果的には被疑者の名誉が侵害されたとしても公表の違法性は阻却されるものと解すべきであるところ、本件にあっては、原告は逮捕時に既に本件被疑事実のみならず、多数の同種余罪についても認めていたのであり、しかも、その自供内容は、被害届等の裏付証拠と概ね一致していたのであるから、原告の容疑につき十分な合理性が認められたことは疑いを容れないところであり、加えて、本件が発生した鳥羽市安楽島町地内では、昭和五八年一〇月頃から同種の下着窃盗事件が頻発しており、住民の不安が募っていたものであったが、本件逮捕事実の公表は、これら一連の犯行を行ったと考えられる被疑者逮捕の事実の公表を意味するものであるから、同地区内における住民らの不安の解消に結びつくものであると言えるのであり、その意味で極めて高い公益性を有する事項と評価されるのである。それゆえ、結果的に本件が不起訴になったとはいえ、本件を報道機関に公表した行為が存したとしても、それが容疑の事実関係にそくしたものであるかぎり到底違法とは解されないところである。

三  同三の冒頭の主張は争う。

1 同三1の事実のうち、鳥羽区検察庁甲田副検事が昭和五九年四月二六日、同年五月一日、同月一〇日に原告を取調べたことは認め、その他の事実は否認する。

2 同三2の事実に対する認否は前記二4に同じ。

3 同三3の事実に対する認否も前記二5に同じ。

四  同四及び五の各事実は否認する。

(被告らの主張)

一  捜査の端緒と逮捕の正当性

1 鳥羽警察署管内の鳥羽市安楽島町地内(戸数約二二〇戸)では、昭和五八年一〇月頃から、女性の下着を目的とした空き巣事件が頻発し、さらに同町地内においては、右の空き巣事件とは別に、昭和五九年四月二一日、二三日の二回にわたり、不審火事件が発生したため、鳥羽署内では、これらの事件について同町地内を重点的に捜査したところ、右の空き巣事件に関連して、

① 昭和五三年一二月下旬頃、原告が安楽島町内の訴外丙川松子宅に空き巣に入り、下着を窃取したという事実があったこと

② 原告は、下着を盗られた被害者に対し、犯行の事前に部屋の様子、家人の動向などを聞き出している事実があったこと

③ 今回の空き巣事件については、地域住民の間で、原告が昼間安楽島町地内をよく徘徊しているという事実もあって、原告がその犯人ではないかという風評があったこと

等の各事実が判明した。

そこで、右の捜査により、前記空き巣事件につき、原告の犯行を疑うに足りる諸資料が収集されたことから、鳥羽署において検討した結果、昭和五九年四月二五日、原告に任意出頭を求めて事情を聴取することになった。

2 鳥羽署に同行後、正午頃までの間、醍醐巡査部長が事情聴取に当ったが、この間、原告は、下着窃盗の事実を否認した。なお、右の事情聴取の際、原告は病気のため入院していたことがある旨の供述をしたため、病院に架電照会し、病院から「原告は緊張病であるが、人との応対は通常で支障はない。」旨の回答を受け、鳥羽署担当官は、原告が緊張病であることを始めて知るに至ったものである。その後、昼食時には原告を一たん自宅まで捜査用車で送り届けたが、その際西井巡査が原告に対し「都合がよければ午後も署まで来てほしい。」と言って、午後の出頭は本人の意思にまかせたところ、原告は、午後二時三〇分頃、勤務先の会社の自動車で出頭してきた。そこで、醍醐巡査部長が事情聴取を再開したが、午後六時頃に至り、原告は昭和五三年の丙川松子方の前記事件のうち住居侵入の事実を自白した。そして、その直後、事情聴取を交替した大西警部補に対し、乙山秋子方の本件犯行を自白するに至ったので、引続いてその詳細についての事情聴取を西井巡査が行った。この間、原告は気軽に取調官に話しかけており、その取調方法等について抗議をするというようなことは一度もなかったし、本件犯行の自白時には涙を流して自ら任意に具体的事実を述べたものであって、脅迫的な取調べ、誘導の事実などは全くなかったし、与えられた食事も残さず食べた。

3 右のような状況のなかで、原告は本件犯行を自供し、併せて他に一〇回位の下着窃盗も自供した。とくに、本件被疑事実に関しては、原告は犯行の動機、窃取先の家人の不在状況について十分に知悉していたこと、さらには、犯行の具体的状況や現場の間取り、家具類の配置等についてまで図面で説明し、本件犯行の敢行者のみが知り得る事実を自供したものである。

そこで、鳥羽署担当官は、原告の右供述、被害者からの被害届、参考人の供述等の捜査資料を検討した結果、原告が被疑者であることを疑うに足りる証拠が収集され、かつ、①余罪が相当数見込まれること②当初は歴然とした事実(昭和五三年の犯行)すら認めようとしなかったこと③独身者であること④賍品の所在、処分先の供述があいまいであること等の諸般の事情に鑑み、原告が逃亡しもしくは証拠を隠滅するおそれがあるものと認められたので、原告を逮捕する必要があるものと判断し、鳥羽署長は津地方裁判所裁判官に対し、同日通常逮捕状及び捜索差押令状の請求をなした。そして、同日午後一〇時三〇分、同裁判所裁判官から逮捕状及び捜索差押令状の各発付を得たので原告を逮捕した。

したがって、本件犯行についての鳥羽署担当官の原告の逮捕手続は正当なものであり、その手続には何らの違法行為は存しない。

二  勾留の請求とその必要性

1 鳥羽署長は、逮捕の翌日である昭和五九年四月二六日、原告を本件住居侵入、窃盗の被疑者として、一件記録とともに身柄付で鳥羽区検察庁検察官に送致し、本件を受理した甲田副検事は、同日午後二時三五分頃、原告の弁解を聞いたうえ、同日伊勢簡易裁判所に対し、原告の勾留請求を行ったのであるが、右勾留請求の時点においても、原告は、警察の取調に対し、逮捕当時同様本件被疑事実を一貫して認めていたうえ、同副検事による弁解聴取においても「(本件被疑)事実はそのとおり間違いありません。私はその他に一〇数回下着泥棒をしております。」などと余罪を含め、本件被疑事実を明確に認めていたのである。

したがって、右の自供に本件における被害届及び実況見分調書等の裏付け証拠を加えれば、逮捕当時と同様本件勾留請求当時原告が罪を犯したと疑うに足りる相当な理由が存在したことは明らかであり、この点で勾留請求を行った甲田副検事の証拠の評価判断が、経験則、論理則に反していたとは到底認められないところである。

2 本件勾留請求の時点においても、余罪の窃盗事件が相当数見込まれたうえ、独身で身軽な行動にでるなどしていたこと、右自供を決定的に裏付ける賍品が発見されておらず、その点に関する原告の供述も曖昧であったことから、釈放すれば、罪証の隠滅を図ったうえ、逃亡することも十分考えられるところであった。それゆえ、本件勾留請求当時、原告には、相当な嫌疑のみならず、勾留の必要性も存在していたことは明白であり、このことは、甲田副検事の勾留請求を受けた伊勢簡易裁判所裁判官が同請求を容れて勾留状を発布していることからも十分裏付けられている。

したがって、甲田副検事による勾留請求も正当であり、何ら違法性は認められないというべきである。

三  原告に対する取調状況

1 原告が緊張病に罹患し、過去に入院歴を有することは事実であるが、治療を受けていた戊田病院の佐藤寛一医師に照会し、同医師から「寛解状態では一般人とほとんどかわらない。事情聴取は差支えない。」旨の回答を得ているし、原告は、逮捕後本件窃盗を自白しながら、その後は捜査官の数回の取調にも一貫して否認を続けるに至っており、このことは、原告自ら充分な判断力に基づいて主張すべき点は主張していたことを窺わせるものである。

このような原告の症状、治療の状況及び勾留中における供述状況等を考えれば、本件取調当時、原告の緊張病が原告の精神状態及び供述内容に重大な影響を与えたとは到底解されない。

2 原告は、鳥羽署において、醍醐巡査部長らから、「(下着を)盗ったと言え。」「パンティ位なら盗ったと言えばすぐ帰れる。」などと大声で机を叩きながら威嚇され、すかされたりして深夜まで取調を受けたため、極度の緊張と恐怖で疲労困憊し、楽になって帰して貰えるならと思い嘘の自白をしたものである旨主張する。

しかしながら、右主張が信用に値しないものであることは、逮捕され身柄を拘束された翌日の勾留請求の際の甲田副検事に対する弁解聴取の場でも、原告は本件被疑事実と余罪とをすべて認めているうえ、およそ脅迫的言動等を用いることは考えられない勾留裁判官の面前においても本件被疑事実を全面的に認めていること、逮捕され、身柄を拘束され、自宅に帰れなくなったことがわかった後の鳥羽署警察官の取調においても、四日間は自白を維持していたことからも明らかであるように、原告は警察官の説得に応じ、あくまでも自発的意思に基づいて自白したのである。

また、原告は、途中から完全に否認に転じ、釈放されるまで否認し続けてきたのであるが、このことは、取調において、原告が捜査官らの言動に屈せず、主張すべき点は主張し、捜査官側から供述を押しつけられることなく十分弁解していたことを意味し、原告の取調を行った捜査官らが、威嚇や脅迫的言動等の職権乱用行為を行っていないことの証左である。

3 原告は、引当捜査によって名誉を毀損されたと主張するようである。しかしながら、甲田副検事らは原告に陵虐を与える目的で引当捜査を実施したものでないことは当然であり、また、その方法も止むを得ない相当なものと考えられるのである。

すなわち、原告は引当捜査を実施するまでに、本件被疑事実及び多数の余罪に関する当初の各自白をいずれも覆し、本件犯行及び余罪を全面的に否認するに至っていたが、否認するに至った理由に何らの合理性も認められないことはもとより、否認に転ずる前の原告の自白の中には、本件及び余罪の各犯行場所を指示するなどした部分があり、その供述内容に具体性を持ったものがあるうえ、原告の自供にかかる余罪の中には、その自白に基づいて被害確認がなされ、被害届が提出された事案もあるなど、原告が否認に転じた一事をもって直ちに犯罪の嫌疑が十分ではないと断定することは到底できない事情にあったことから、更に原告の右自白の信用性の有無について、あらゆる角度からの吟味が必要とされる状況にあった。そのため、本件の主任検察官である甲田副検事は、その処分を決するに当たり、前記のとおり原告が自供した余罪の中にはいわゆる未届事案もあったことなどに鑑み、単に本件に関する原告の当初の自白のみならず、余罪についての自白の信用性を総合的に検討する目的で、原告を同行させた引当捜査を実施し、その過程で同副検事が自ら直接本件及び余罪の各犯行場所を見分するとともに、本件及び余罪に関する犯行場所の特定経緯等につき、当該各現場における原告との問答を通じるなどして心証を形成する必要があると判断したのである。また、住居侵入、窃盗事件では、自白事件はもとより、本件のような否認事件であっても、引当捜査を行うことはあり得るのであり、しかも、本件においては、一度も引当捜査が実施されておらず、検察官自らによる前記のような目的を持った引当捜査を行うことが是非とも必要であったのである。

そして、右引当捜査の実施中において、原告には手錠腰縄が施されているが、これは通常の押送や引当捜査においても逃走の防止という観点から行われているのであり、本件における原告に限って行われたものではないのである。また甲田副検事は前記引当捜査の四分の一ないし三分の一程度を終了した時点で原告の手錠をはずさせるなどし、逃走の防止との兼ね合いで原告の人権について十分配慮をしている。

第三証拠《省略》

理由

一1  請求原因一の事実は当事者間に争いがない。

2  また、原告が緊張病に罹患し、昭和五三年一月から同年五月まで戊田病院に入院し、退院後も通院、投薬による治療を受けていたこと、原告の取調にあたった醍醐巡査部長、西井巡査及び大西警部補は原告が緊張病の患者であることを知っていたこと、醍醐巡査部長、西井巡査又は大西警部補が昭和五九年四月二七日から同月二九日まで、同年五月二日、同月七日と原告の取調にあたったこと、鳥羽区検察庁甲田副検事が同年四月二六日、同年五月一日、同月一〇日に原告を取調べたこと、醍醐巡査部長、西井巡査、鳥羽区検察庁甲田副検事及び同検察庁検察事務官一名は、同月一一日原告を連れて鳥羽市安楽島町内の引当捜査をしたが、その途中原告の自宅に立寄り、原告が自慰行為をする姿態の写真を撮影したこと、また、右引当捜査の際にも警察官が何枚もの写真撮影をしたこと、鳥羽署の警察官が報道機関に対し、実名を明らかにして下着窃盗の容疑で原告を逮捕した旨公表したことは、各当事者間に争いがない。

二  前記一の確定事実、《証拠省略》を総合すると、以下の各事実が認められ、この認定を妨げる証拠はない。

1  昭和五八年一〇月頃より、原告が居住していた鳥羽署管内の鳥羽市安楽島町内において、女性の下着の窃盗事件が頻繁に発生し、鳥羽署の醍醐巡査部長、西井巡査らが聞き込みによる内偵捜査を行ったところ、(1)昭和五三年一二月頃、原告が安楽島町に住む丙川松子(女性、当時二〇才)の居、寝室に家人の留守中に無断で立入ったことが、同室に原告がジャンバーを置き忘れてきたことから判明し、その後、ある程度経過後に右居、寝室のタンスから自分の下着二枚位が無くなっていることを発見した同女は、原告がさきに自室に立入ったときに右下着を盗んだのではないかと疑いを抱いたこと、(2)同じく安楽島町に居住する丁原竹子(昭和三八年生)は、昭和五八年夏頃と同年九月には自宅二階の自室から下着が盗まれており、同女は、その直前に原告から話しかけられた際に自宅の間取り(同女の部屋の位置)や家人の動向等について尋ねられており、加えて、原告に対する世評から判断して右の下着窃盗の犯人は原告ではないかと疑っていたこと、(3)原告は、昭和五二年末頃の冬に素裸で公道を走るという異常な行動に出たことがあって、それが評判になっており、付近住民らの間では頻発する下着窃盗の犯人は原告ではないかとの風評が一部にあったこと、(4)原告は、当時近くの青果店に勤務していた者であるが、その勤務成績は良好ではあるものの、若い女性客に対して声をかけたり、なれなれしい態度をとることがあったこと等の各事実が判明し、鳥羽署刑事課捜査係長大西孝雄警部補は、一連の下着窃盗につき、原告の犯行を疑うに足る事情が一応あるものと判断し、原告に任意出頭を求めて事情を聴取することにした。

2  醍醐巡査部長及び西井巡査は、昭和五九年四月二五日午前九時頃より、鳥羽署刑事課取調室において任意同行した原告に対し、頻発している下着窃盗事件についての事情聴取を行い、右事件が原告の犯行ではないかと追及したが、原告は終始頑強に右犯行を否認し、昭和五三年の丙川方への前記無断立入の事実も否認し続け、午前一〇時三〇分頃になり、精神的疾患で入院したことがあり、現在も薬の服用を続けている旨を供述するに至った。そこで、醍醐巡査部長は、原告から入院、薬の服用の事実を告げられたので、直ちに原告が入院していたという戊田病院に架電照会し、同病院から、昭和五三年頃に緊張病に罹患して入院し、現在も年に数回通院し、投薬を受けるなどしていること、緊張病は発病時には急性で激しい興奮と夢幻状態が伴って殆んどの場合入院治療を要するものであるが、寛解状態においては、発病前と比較して人格水準の低下を来すことは殆どなく、刑事捜査における取調に対する対応などは一般通常人と殆どかわらないとの趣旨の回答を得たので、再び事情聴取を正午頃まで続け、昼食のために取調をいったん中断して原告を帰宅させた。そして、原告は同日午後二時三〇分頃求めに応じて鳥羽署へ再度出頭してきた。そこで、醍醐巡査部長及び西井巡査は、原告に対する事情聴取を再開したところ、原告は依然として下着窃盗の犯行を否認し続けた。醍醐巡査部長らは原告に対し、本件被疑事実の被害者乙山秋子及び丙川松子の名を挙示し、同女らの家に侵入して同女らの下着を盗んだことがあるのではないか、盗んだことを認めてしまえば楽になるなどといい、認めなければ帰宅させないような様子を示して犯行を自白するように説得を続けた。そのために、原告は同日午後四時半頃丙川松子方に無断で立入った事実を認めるなど、その供述態度を変化させるに至った。大西警部補は夕食後の午後五時過頃から醍醐巡査部長に代って原告に対する取調を行い、犯行事実を認めるよう説得したところ、取調開始後、程なく原告は、自分がやりました、と述べて本件被疑事実を自白し、その犯行態様についてもこれを供述し、同時に同種の下着窃盗の余罪が一〇件位ある旨の供述をしたので、大西警部補は原告の自白調書を作成した。

3  そこで、鳥羽署刑事課長松田幸久警部は、乙山秋子の被害届、原告の前記自白調書及び捜査報告書を添えて、同日午後九時五五分、本件被疑事実について津地方裁判所裁判官に原告に対する逮捕状、捜索差押許可状を請求したところ、同裁判所裁判官乙田二郎は原告に本件被疑事実を行ったことを疑うに足りる相当な理由があり、かつ、逮捕の必要性があると判断して逮捕状を発付し、あわせて捜索差押許可状を発付した。そこで西井巡査は、同日午後一一時三八分それまで鳥羽署に待たせておいた原告に対して本件被疑事実で右逮捕状を執行した。醍醐巡査部長らは、翌二六日、前記捜索差押許可状に基づいて原告方の捜索を行ったが、原告の下着窃盗を裏付ける証拠物は何も発見されなかった。

4  原告は、同月二六日午前中醍醐巡査部長の取調を受けたが、同巡査部長に対しても本件被疑事実の他内容の特定はないけれども、昭和五三年頃以降安楽島町内を中心に数十件の下着窃盗をしたことがある旨供述した。そこで鳥羽署長は、同日午後二時五分、原告を本件被疑事実をもって鳥羽区検察庁検察官に身柄付で事件送致し、同事件の主任検察官である同検察庁甲田一郎副検事は、同日午後二時三五分頃、原告の取調を行い、その弁解聴取においても、既に大西警部補ら警察官に供述したとおり、本件被疑事実の他に一〇件位の下着窃盗を行ったことを供述した。なお、同副検事の右取調の際、原告は「君は変態かね。」と尋ねられて「そうです。」と答えたり、「パンティーはどんな臭いがするのかね。」と聞かれて「花の匂いがします。」などとおざなりな答えをしていた。甲田副検事は、同日、伊勢簡易裁判所裁判官に対して原告に対する勾留請求をしたところ、同裁判所裁判官丙田三郎は、その勾留質問で原告から本件被疑事実は間違いない旨の陳述を聴取したうえ、原告が本件被疑事実を犯したことを疑うに足りる相当の理由があり、かつ、原告について刑事訴訟法六〇条一項二号、三号所定の事由があるものと判断して勾留状を発付した。原告は、同日、鳥羽署留置場に勾留された。

5  鳥羽署担当警察官は、右同日、実名を明らかにして本件被疑事実で原告を逮捕した旨を報道機関に対し公表したので、同月二七日付の一部の新聞は、下着窃盗の疑いで原告が逮捕された旨を実名で報道した。

6  原告は、右同日、醍醐巡査部長の取調を受けた際、下着を盗んだ家を明らかにするよう要求されて安楽島町内の地図を示されたので、同地図中の二八軒の家の位置に印を付けた。醍醐巡査部長は、地図上に印の付された家が原告による下着窃盗の犯行場所を示すものであるとして右地図を添付した原告の自白調書を作成した。ところで、その当時、原告は醍醐巡査部長らに対し、賍物である下着類は原告方近くのみかんの木の下に埋めた旨供述していたので、翌二八日、大西警部補らが右みかんの木の下を掘り返して賍物を差押えるべく、原告を現場に案内させようとしたところ、原告は、それまで認めていた下着窃盗を否認し、みかんの木の下に埋めたと言ったのも嘘である旨述べるに至った。しかし、その後の醍醐巡査部長らからの追及により、原告は再び下着窃盗を認め、翌二九日の西井巡査による取調に対し、みかんの木の下に埋めてあるのは猫の死骸であって、盗んだ下着類は安楽島町の南東側のふのこし海岸から海中に投棄した旨を供述するに至った。しかしながら、翌三〇日西井巡査の聞き込みにより、昭和五八年一〇月頃にふのこしの海岸の浜辺に女性用下着がたくさん散乱しているのを見たとの付近住民二人からの情報を得たものの原告が窃取したとされる下着類などの賍物は全く発見するに至らなかった。

7  原告は、昭和五九年五月一日午前中の甲田副検事による取調に際して本件被疑事実及びその他の下着窃盗の余罪の全てを明白に否認するに当り、その後の検察官や警察官による厳しい追及に対しても全面的犯行否認の態度を釈放の日まで変えず、検察官や警察官も原告の自白調書を作成することはできなかった。

8  甲田副検事は、原告が本件被疑事実及びその他の下着窃盗の余罪を全面的に否認するに至ったので、更に引当捜査を含む捜査が必要であるとして、同年五月四日、伊勢簡易裁判所裁判官に対し、同月六日から同月一五日まで一〇日間の勾留期間の延長を請求し、同請求が認められた。

大西警部補は、同月七日原告が当初賍物の下着を埋めたというみかんの木の下の根元を掘り返したところ、原告の弁解のとおり、猫の死骸が発見されたが、下着類は発見されなかった。甲田副検事は、同月一〇日、依然として全面否認を続けている原告に対し、同年四月二七日付醍醐巡査部長に対する供述調書に添付の地図に印を付した理由を尋ねたところ、原告は、右は自分が知っている女性のいる家をあげたに過ぎず、下着窃盗をした家をあげたものでないと述べた。そこで、甲田副検事は原告に対し、あす一一日に原告を連れて地図に印のついた二八か所の家の全部につき引当捜査を行う旨告げた。

9  鳥羽区検察庁甲田副検事は、五月一一日、同検察庁検察事務官竹株啓至、鳥羽署の醍醐巡査部長、西井巡査及び鑑識係榊原巡査の合計四名を補助者として、鳥羽市安楽島町内の下着窃盗の犯行場所と目される箇所へ原告を同行し、同日午前一〇時頃から午後一時頃まで引当捜査を実施した。右引当捜査は、先ず捜査用自動車で本件被疑事実の被害者乙山秋子宅に赴き、同女宅前で手錠、腰縄姿の原告を鑑識係榊原巡査が写真撮影し、次いで原告が地図に印を付した前記二八か所の家、その他関係箇所を順次回り、それぞれの家の前において原告の姿を榊原巡査が写真撮影した。なお、甲田副検事は、右引当捜査が三分の一ないし四分の一程度終了した頃、顔見知りの原告の近隣の人々に手錠、腰縄の姿が目撃されないように、補助者である護送の醍醐巡査部長に命じて原告の手錠をはずさせた。そして、それ以後の引当捜査においては、原告は手錠をかけられていない。原告は、右引当捜査の間、右引当て各箇所における下着窃盗の事実を全て一貫して否認し続けていた。

10  甲田副検事らは原告に対し、前記引当捜査の途中で立寄った原告方の原告の私室において、盗んだ女性の下着で自慰をするのではないかと質問したところ、原告は、自慰は下着ではなく、雑誌類を見ながらすると答え、右副検事らの求めにより、同室内にて、着衣のまま横臥し、手錠をかけられた両手を股間付近にあてて自慰行為をする姿態をとったので、その原告の姿態を右引当捜査の補助者が写真撮影した。

三  そこで、警察官及び検察職員による各不法行為の成否について検討する。

1  警察官による自白の強制の主張(請求原因二1)について

前記一及び二の確定事実によれば、原告は鳥羽署に任意同行されて取調を受けた昭和五九年四月二五日当時緊張病に罹患し、通院、投薬による治療を受けており、右取調に際して醍醐巡査部長、西井巡査及び大西警部補は右の事実を知ったのであるが、醍醐巡査部長は、原告の通院先の医師に照会して人との応対に支障がないとの回答を得たうえで原告に対する取調を継続しており、加えて前記二2の原告の病状、原告に対する取調経過からすれば、緊張病患者である原告に対して取調を行ったことが直ちに自白強制にあたり違法のものということはできない。

なるほど前記二2及び3に判示したところからすると、鳥羽署取調室における原告に対する取調は、午前九時頃から正午頃まで及び午後二時三〇分頃から午後一一時三八分に逮捕されるまで断続的に行われ、その取調は長時間にわたり、しかも相当に執拗なものであったろうことは窺えるけれども、これをもって警察官の取調が原告に対し自白を強制する違法のものであったとまでいうことはできないし、甲第一〇号証には、原告が取調を受けている際に自宅へ帰ろうとしたところ、大西警部補から押えつけられて帰宅を阻止された旨、醍醐巡査部長及び西井巡査が原告に対し下着を盗んだことを認めないと帰宅させないといって自白を強制した旨の記載があるが、右記載は《証拠省略》に照らしてたやすく信用することができず、他に取調に当った三名の警察官の脅迫的取調によって原告が自白を強制されたことを認めるに足りる証拠はない。

2  警察官による違法逮捕の主張(請求の原因二2)について

前記一及び二の確定事実によれば、原告は、前記任意同行を求められた昭和五九年四月二五日午後五時過頃からの取調によって本件被疑事実を自白し、大西警部補によって自白の供述調書が作成されたこと、右自白に至るまでの原告に対する大西警部補らの取調は前記1のとおり違法のものではなく、原告に対して自白の強制があったとはいえないこと、鳥羽署刑事課長松田警部が本件被疑事実に関する乙山秋子の被害届、原告の右自白の供述調書及び捜査報告書等を資料として添付して津地方裁判所裁判官に原告に対する逮捕状の請求をしたところ、津地方裁判所裁判官は原告について本件被疑事実について罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があり、かつ逮捕の必要性があると判断して原告に対する逮捕状を発付したので、同日、西井巡査が原告に対し右逮捕状を執行したものであり、原告に対する右逮捕状の執行が違法であるということはできない。

原告は、醍醐巡査部長、西井巡査らが津地方裁判所裁判官を欺いて逮捕状を違法に取得した旨主張するが、右主張を認めるに足りる証拠はない。

3  警察官による脅迫的取調の主張(請求原因二3)について

前記一及び二の確定事実並びに《証拠省略》によれば、原告は鳥羽署留置場に勾留された昭和五九年四月二六日から釈放された同年五月一二日までの間、検察官の取調のあった四日間及び他の三日間を除いて毎日鳥羽署の醍醐巡査部長、西井巡査及び大西警部補による取調を受けたこと、右三名の警察官による右取調の状況は前記二判示のとおりであり、原告が犯行を全面的に否認するに至った後取調の警察官から犯行を認めないと勾留が長びくので犯行を認めよと説得されたことが認められるけれども、この事実をもって右三名の警察官による原告の取調が脅迫的なものであったということができず、他に原告に対し右三名の警察官の脅迫的取調があったことを認めるに足りる証拠はない。

4  検察官による侮辱的、脅迫的取調の主張(請求原因三1)について

前記一及び二の確定事実によれば、甲田副検事は、昭和五九年四月二六日、同年五月一日、同月一〇日に原告に対する取調を行い、その取調の状況は前記二4、7及び8に判示したとおりであるが、この甲田副検事による原告の取調の方法が社会的相当性を欠く違法なものということはできない。そして、他に甲田副検事による原告の取調が侮辱的、脅迫的であって違法であることを認めるに足りる証拠はない。

5  警察官、検察官及び検察事務官による違法な引当捜査の主張(請求原因二4及び同三2)について

(一)  鳥羽区検察庁甲田一郎副検事は、本件被疑事件の主任検察官として更に真相を究明するためにその必要ありと考え、原告の引当捜査を実施することを決定し、昭和五九年五月一一日、同検察庁検察事務官、鳥羽署警察官ら四名を補助者とし、これを指揮し、原告が同年四月二七日の醍醐巡査部長による取調の際に下着窃盗の犯行場所であるとして印をつけた鳥羽市安楽島町の地図に基づき、印のついた二八軒の家及び関係箇所へ原告を連行し、同日午前一〇時頃から午後一時頃まで引当捜査を実施したこと、右引当捜査は、甲田副検事の指揮のもとに、手錠、腰縄付きで、先ず本件被疑事実の被害者である乙山秋子宅から始めて前記二八軒の家及び安楽島町内の関係箇所に順次原告を連行して引当捜査を行ったのであるが、引当捜査が全体の過程の三分の一ないし四分の一過程終了した時点で甲田副検事の指示で原告の手錠がはずされたことは、前記二に判示したとおりである。

(二)  そして、前記二の確定事実、《証拠省略》を総合すれば、鳥羽市安楽島町は、昭和五九年五月当時の総戸数約二七〇戸程の主として農業者、漁業者及びサラリーマンの住む閑静な住宅地域であり、しかも中央部の大半は山地であるため、この山地と南東側の海にはさまれた狭隘な地域に大半の民家が集中しており、原告の自宅もその地域内にあること、そして原告が作成した前記(一)判示の地図に記載された前記二八軒の家も、その半数近くは原告の自宅の隣組ともいうべき狭い範囲に集中しており、日頃から相互に顔見知りであったり、交際したりしている間柄の者が多く、したがって引当捜査の際は、知人、友人、その他顔見知りの者らの多くに出会わざるをえない状況であったこと、安楽島町内においては昭和五八年一〇月頃から女性の下着窃盗が頻発しているなかで、原告が下着窃盗の被疑者として前記(一)のとおり町内の引当捜査を受けることは、近隣の人々の好奇の目にさらされることとなって原告の名誉感情が損われるとともに、場合によっては近隣の人々をして原告が安楽島町内で発生した下着窃盗の犯人であると信じさせることにもなり、原告の名誉が毀損されかねない状況にあったことが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(三)  ところで、捜査官として犯罪を捜査する権限を有している者は、捜査に当り、被疑者その他の関係人の身体、自由、名誉等を侵害するおそれがあるのであるから、被疑者らの人権保障との権衡上、捜査の程度及び方法はその目的を達するための必要性に見合った相当のものでなくてはならず、もし捜査官がその必要性の限度を超えて不相当な捜査を行い、それによって被疑者らの身体、自由、名誉等を侵害するに至った場合には、右捜査は違法のものといわなくてはならない。

そこで、甲田副検事が指揮して行った前記(一)の引当捜査の適否について検討する。

(四)  前記二の確定事実、《証拠省略》を総合すれば、原告は、本件被疑事実で逮捕、勾留され、四月二七日までに取調の警察官に対し本件被疑事実のほかに鳥羽市安楽島町内において二七か所、それ以外の地域において六か所の下着窃盗を行ったことを自白したものの、各犯行の日時、被害品の内容、犯行態様、被害品の処分先についての具体的な供述をするまでに至っておらず、翌二八日、取調の警察官から賍物たる下着類の処分先を追及されるや、一転して下着窃盗の事実を否認し、更にその後の取調に対してまた犯行を認めるなど、原告はあいまいな供述を繰り返した後、同年五月一日の甲田副検事による取調のときから本件被疑事実及びその他の下着窃盗を全面否認し、自白したそれまでの供述は全て虚偽のものである旨述べるに至り、その後の取調に対しても一貫して全ての下着窃盗の事実を否認し続け、その態度を最後まで変えなかったこと、本件被疑事実に関しては、同月一〇日の時点で被害者である乙山秋子の被害届、西井巡査に対する供述調書二通、司法巡査作成の実況見分調書は存在してはいたが、これらの各証拠書類も本件被疑事実と原告とを直接結びつけるものではなく、賍品もなく、指紋、足跡などの客観的物的証拠は何ひとつ存在せず、わずかに本件被疑事実と原告とを具体的に結びつける供述証拠として、前記のとおり、原告の自白調書が存在するものの、右自白も原告は同年五月一日以後はこれを撤回し、最後まで右事実を否認し続けていること、本件被疑事実以外の前記合計三三か所における下着窃盗のうち、被害者丙川松子に関する下着窃盗の件についても、丙川松子は、原告が自室に立入った後、しばらくしてから、タンスの中の下着二枚位が無くなっているのに気付き、原告が盗んだのではないかとの疑いを抱いたというに過ぎず、しかも五年余りも経過した後の昭和五九年四月二三日になって初めて、このことを聞き込みに来た西井巡査に話したことから、その旨の供述調書が作成され、被害届を出すことになったものであり、他に客観的な証拠でもない限り、丙川松子の右内容の供述のみから原告が犯人であると直ちに断定することは到底できない事件であること、丙川松子方を含め前記三三か所における各下着窃盗につき、同月二七日までに作成された原告の漫然とした自白の供述を録取した調書の他に右各下着窃盗に関する自白調書は存在せず、したがって同年五月一〇日の時点において検察官が、原告に対する本件被疑事実及びその他の三三か所の下着窃盗の余罪について公訴を提起し、これを維持し得る状況には全くなかったこと、そして甲田副検事が翌一一日に原告の引当捜査を行ったとしても、引当捜査の過程において、原告が各引当箇所における各犯行を自白でもしない限り引当捜査により、前記公訴を提起し、これを維持するに足りる証拠を収集しうる見込みがあったとは到底考えられず、もとより原告のそれまでの供述態度等からすれば、右引当捜査をすることによって原告が再び犯行を自白するに至るとは殆ど考えられない状況にあったことが認められ、この認定を妨げる証拠はない。

(五)  しかして前記(一)、(二)及び(四)並びに前記二の確定事実を総合すれば、甲田副検事が原告に対して本件被疑事実を含む前記三四件の下着窃盗につき、なかんずく本件被疑事実を除く余罪についての公訴を提起しうるに足りる証拠資料を前記(一)の引当捜査を行うことによって追加収集しうる見込みは昭和五九年五月一〇日現在において存在しなかったにもかかわらず、いたずらに原告の名誉感情の侵害及び名誉の毀損の結果を招来するに過ぎない右引当捜査をあえて行ったものであり、これは明らかに捜査の方法及びその程度において必要性の限度を超える不相当なものであって違法のものといわなくてはならず、また、同日の時点において、甲田副検事は、右引当捜査によって前記公訴を提起するに足りる証拠資料を追加収集しうる見込みのないこと及び右引当捜査が前記のとおり原告に対する名誉感情の侵害及び名誉毀損を招来するであろうことを予測しえたことも容易に認められる。そうとすると、甲田副検事の指揮下において実施された前記引当捜査は違法であり、同副検事は右違法の引当捜査を行った点に少なくとも過失があるものといわざるをえない。

(六)  したがって鳥羽区検察庁甲田副検事の行った前記(一)の違法な引当捜査は原告に対する不法行為であるというべきである。

(七)  原告は、前記(一)の違法な引当捜査について、鳥羽区検察庁竹株検察事務官、鳥羽署の醍醐巡査部長、西井巡査及び榊原巡査にも故意又は過失がある旨主張するが、前記二の確定事実によれば、前記引当捜査は、原告に対する本件被疑事実に関する被疑事件の主任検察官である甲田副検事の判断によってその実施が決定され、竹株検察事務官、醍醐巡査部長、西井巡査及び榊原巡査は、捜査の補助者として、右副検事の指揮のもとに右引当捜査に従事したものに過ぎないことが認められ、しかも前記(一)ないし(六)に判示した事情に照らせば、右四名の捜査補助者が甲田副検事の前記指揮に従って引当捜査に当った点において故意はもとより、過失があったということもできない。

6  警察官、検察官及び検察事務官による陵虐行為の主張(請求原因二5及び同三3)について

甲田副検事を指揮者、竹株検察事務官及び三名の警察官を補助者として昭和五九年五月一一日に実施された鳥羽市安楽島町内の前記引当捜査の途中に原告の自宅に立寄った際、原告が自室内において着衣のまま横になって手錠をかけられた両手を股間付近にあてて自慰行為をする姿態をとり、右引当捜査の補助者が原告の右姿態を写真撮影したことは前記二9及び10に判示したとおりであるが、前記二9及び10の確定事実によれば、原告が右の如き自慰行為の姿態をとることを甲田副検事、又はその補助者らによって強制されたものということはできない。甲第一〇号証には、警察官が原告に対し屈辱的な自慰行為の姿態を強制した旨の記載があるが、この記載は《証拠省略》に照らして信用することができず、他に原告に対し右強制のあったことを認めるに足りる証拠はない。また、前記二9及び10判示の事情から考えると、前記引当捜査の補助者らが原告の自慰行為の姿態を写真撮影したことをもって直ちにその方法、程度が捜査官として許される相当性の範囲を超えた違法捜査であるとすることもできない。

7  警察官のマスコミ公表による名誉毀損の主張(請求原因二6)について前記一及び二の確定事実によれば、鳥羽署の担当警察官が報道機関に対し、昭和五九年四月二六日、実名を明らかにして本件被疑事実で原告を逮捕した旨公表し、これに基づいて、同月二七日の一部の新聞紙上に実名入りで下着窃盗の疑いによる原告が逮捕された旨の記事が掲載されたものであり、右担当警察官による右公表は原告の名誉を毀損する行為であるといえなくもない。

しかしながら、右公表の内容は、未だ公訴を提起されないが原告の犯罪行為に関するものであるから公共の利害に関する事実に係るものであり、また、前記二に判示した事実経過によれば、その公表は専ら公益を図る目的に出たものであることが認められ、しかも前記一及び二の確定事実によれば、右公表された事実は真実に合致するものでもあるから、前記担当警察官による前記公表は違法性が阻却され、原告に対する不法行為は成立しないものというべきである。

四  以上の次第によれば、少なくとも甲田副検事が昭和五九年五月一一日に原告の引当捜査を行ったことは、被告国の公権力の行使に当る公務員がその職務を行うについて過失によって違法に原告に損害を与えたものというべきであるから、被告国はこれによって原告の受けた後記損害を賠償する責任を負担しているものというべきであるが、原告が主張する被告国によるその余の不法行為及び被告三重県によるそれは、前記三に判示したとおり、その成立はないというべきであるから、原告の本訴請求のうち、これが成立を前提とする部分についてはいずれも理由がないことになる。

五  前記四の不法行為によって原告に生じた損害について検討する。

1  (慰謝料)

原告は、前記違法な引当捜査により、前記三5(二)のとおり自己の名誉感情を侵害されるとともに、名誉を毀損され、これによって精神的苦痛を受けたであろうことは察するに難くない。そしてこの原告の精神的苦痛に対する慰謝料は前記認定の事情、その他記録に顕われた諸般の事情を総合考慮すれば、金三〇万円をもって相当と認める。

2  (弁護士費用)

原告が原告訴訟代理人弁護士中村亀雄に対し本訴の提起及びその追行を依頼したことは当裁判所に顕著であり、弁論の全趣旨によれば、原告は同弁護士に対し報酬の支払を約束したことが推認される。そして本件事案の難易、請求額、認容額、その他諸般の事情を考慮すれば、同弁護士に支払うべき報酬のうち金五万円をもって本件と相当因果関係のある原告の損害と認めるのが相当である。

六  よって、原告の本訴請求は、被告国に対し不法行為に基づく損害賠償金として合計三五万円及びこれに対する訴状送達日の翌日であること記録上明らかな昭和五九年七月三日から支払いずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で正当であるから、これを認容するが、被告国に対するその余の請求及び被告三重県に対する請求はいずれも失当であるからこれらを棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条を適用し、仮執行宣言の申立については必要があると認められないからこれを却下することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大橋英夫 裁判官 下澤悦夫 山西賢次)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例